「日本語表現法2011」 236038


徳川家康と関わりを持つ

1:11 :

2011/07/20 (Wed) 20:21:36

 浜松には家康ゆかりの地が多々ある。大学周辺だけでも十三カ所あり、「家康の散歩道」といって人々の散歩コースにもなっているくらいである。そのため、今回、浜松について徳川家康を主として考えてみた。
 浜松市役所近くに「家康公鎧掛松」と呼ばれる松がある。この松は、合戦に敗れた家康がやっとの思いで城内へ逃げ込み、着ていた鎧を掛けたと伝えられている。この松は浜松市民と関わりがある。明治には静岡藩浜松勤番組頭・井上延陵がこの松の保存に尽力した。その後、大正には松の木の土地を浜松市に寄付し、「徳川家康鎧掛之松」と石碑を建てて松を後世に伝えようとした。そして「新家康探訪―浜松から駿府・江戸へ―」では「年輪に、歴史と伝説が刻まれた松を絶えさないで」という市民の心情が述べられている。また、本書には、「子供たちは、樹木の繁った外堀で、カブトムシなどの虫を取って遊び、この松の木の下で、涼んだという。」と書かれている。家康ゆかりの地は、市民にとっては誇りであり、憩いの場でもあったようだ。
 鎧掛松以外にも、家康が助けてもらった褒美に与えた名字、今でも選挙になると候補者が相次いで必勝祈願に来るという家康が戦勝祈願をした神社がある。小豆餅という地名は家康がそこで餅を食べたことに由来するという。このように、家康の行動が浜松市民に影響を与えているようだ。
 家康といえば、静岡市の駿府城がある。しかし、静岡市と浜松市では、家康により与えられた影響が違うようだ。浜松城職員は「静岡市の人は、家康のことを『家康公』と呼びますが、私たち、浜松の人は『家康』と呼び捨てにするんです」と語った。これは、静岡市の人々は家康を万能な人とある種の神のように考えているが、浜松市の人々は敗戦して農民に助けてもらっている人と一般人のように考えているという違いがはっきり出ている言葉だろう。この違いを生んだのは、家康の出世である。出世後の静岡市では英傑だが出世前はそうではない。そのため、浜松の人は家康をただの肥満体の老人と考えていたようであり、ほかの土地にはない家康像があるようだ。前述の鎧掛松や名字、地名など静岡市のような出世後の政策による現代への影響とは違う浜松ならではの家康の影響が多々感じられる。このように、浜松は徳川家康と厳密な政策が施された城下町としての関係よりもその時々の家康の行動による影響のほうが大きいようである。
 以上より、浜松市民の生活には家康という老人が関わっており、その関係は独自のものといえるだろう。

出典
読売新聞浜松支局編(1978)「浜松城物語―家康から現代まで―」
読売新聞浜松支局編(1979)「新家康探訪―浜松から駿府・江戸へ―」
静岡県浜松市中区元城町100-2 浜松城 館内職員
パンフレット「家康の散歩道」
2:11072 :

2011/07/22 (Fri) 21:18:35

> そのため、今回、浜松について徳川家康を主として考えてみた。

ここではなく、最初に浜松が徳川家康と関わりを持つと述べるべきだ。

〇 浜松は、徳川家康と関わりを持っているという特徴を持つ都市だ。 浜松には・・・
3:01105 :

2011/07/27 (Wed) 19:06:33

>そのため、今回、浜松について徳川家康を主として考えてみた。

むしろこの文はなくていい。 時数稼ぎの必要ない文。

「浜松には家康ゆかりの地が多々ある(という特徴を持つ都市である)。」
この文は()の中が省略された形なだけで、この文から浜松が家康と関わり深いという
特徴があることについて述べようとしていることがわかるので、
最初に持ってきて述べる必要もない。
4:01105 :

2011/07/27 (Wed) 19:12:09

× 時数   ↑↑↑2行目
○ 字数
5:11077 :

2011/07/27 (Wed) 19:27:44

>鎧掛松以外にも、家康が助けてもらった褒美に与えた名字、今でも選挙になると候補者が相次いで必勝祈願に来るという家康が戦勝祈願をした神社がある。小豆餅という地名は家康がそこで餅を食べたことに由来するという。

この二文を読むと、「家康が戦勝祈願した神社」が「小豆餅という地名」だという誤解をしてしまうおそれがある。
この場合、列挙するものの文同士を繋げてしまった方がいい。
また列挙されたものの特徴が分かりづらいので、「徳川家康ゆかりのもの」という特徴を併記するとよい。

修正例:
徳川家康ゆかりのものには、鎧掛松以外にもある。
家康が助けてもらった褒美に与えたという「布橋」という名字や、今でも選挙になると候補者が相次いで必勝祈願に来るという家康が戦勝祈願をした山住神社、家康がそこで餅を食べたことに由来する「小豆餅」という地名などがそうだ。
6:11104 :

2011/07/28 (Thu) 11:06:06

×「以上より、浜松市民の生活には家康という老人が関わっており、その関係は独自のものといえるだろう。」

○「以上より、浜松市民の生活には家康という個人が関わっており、その関係は独自のものといえるだろう。」



7:10045 :

2011/07/28 (Thu) 15:36:17

>この違いを生んだのは、家康の出世である。

筆者の主張を述べるときは、断定した文末表現を避けるべきだ。

○この違いは、家康の出世により生じたものだろう。
8:10071 :

2011/07/30 (Sat) 22:29:28

ほとんどのパラグラフでトピックセンテンスがパラグラフの最後の文になっている。
トピックセンテンスはパラグラフの冒頭で示すべきである。

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